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PKという家具が生まれるまで

upDate2015/01/22

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ポール・ケアホルムは、15歳で家具工房に弟子入りし、18歳で家具職人としての資格を認められました。

そのケアホルムが独自の発想と信念で、完璧までに美しい家具を生み出すまでには、様々な人や文化との出逢いがありました。

今日は少しだけそのお話をしたいと思います。

 

ウェグナーとの出逢い

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デンマークで最も著名なデザイナーの1人、ハンス J. ウェグナー。日本でも、ウェグナーがデザインした、通称Yチェアと呼ばれるCH24をいたるところで見かけますが、まさに北欧家具の代表とも言える椅子を数多くデザインした人物です。

ケアホルムは家具工房で職人の修業をしたのち、19歳で家具デザインを学ぶためコペンハーゲンへ移ります。コペンハーゲン美術工芸学校に入学した彼を、教師として出迎えたのがウェグナーでした。ケアホルムはそこで、素材と構造の観点から家具を見ることを学びます。

その後、21歳~23歳の時期をこのウェグナーの事務所で勤務することになったのです。

 

見た目だけを問えば、ウェグナーとケアホルムの家具は似ていないのかもしれません。

が、その根底にある家具というものの概念は同じだったのではないかと思います。シンプルで美しいデザイン、上質な素材、確かな品質を持つ、屋内で家族と長く快適に過ごすための愛すべき道具たち・・・。

ケアホルムは巨匠ウェグナーから、技術とともに価値観やライフスタイルの在り方なども受け継いだのでしょう。

 

バルセロナチェア

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名前を聞いたことのある家具!どこかで見たことのある家具!と言えば、このバルセロナチェア(1929年発表・写真左)。近代建築の三大巨匠の1人と言われるドイツの建築家、ミース・ファン・デル・ローエの作品です。

ケアホルムはこの椅子に強く刺激を受け、この名作を超えるべくして1955年、PK22(写真右)を発表しました。

このPK22は、1957年にミラノトリエンナーレでグランプリを獲得します。ケアホルムの名が世界中に知れ渡るきっかけとなりました。

 

美しさの基準は自然界にある

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ポール・ケアホルムの家具は一貫してシンプルで細いラインを特徴としています。そのデザインの元となったのは、”自然界”。木の枝のようにエレガントでシンプルなデザインを目指しました。

ケアホルムの自然に対する敬意と愛情が、その独自性を介して形になったものこそ、今日まで色褪せない気品を放つ作品たちなのです。

 

「主人はオタクです」

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1953年。ケアホルムは同郷の建築家である、ハンナ・ダムと結婚します。

ハンナが設計した自邸での生活の中で、ケアホルムは自身と愛妻が実際に家で使うための家具をデザインするようになります。

自邸で自分自身と家族が使うのだから、それはもう、納得いくまでこだわり抜いた名品ばかりが生まれました。

特にPK9は、ハンナのお尻の形を石膏で型取りして作られた椅子。世界中で彼女にとって一番座り心地良い椅子となったことでしょう。

ちなみに妻のハンナは大の日本好き。何度も日本を訪れ、自邸には京都で求めた下駄や草履が飾ってあります。実際自邸の梁など見ると、どこか日本らしさが漂い、その空間に合わせてデザインされたケアホルムの家具は日本家屋に置いても違和感のない「低さ」と「シンプルさ」そして「奥ゆかしさ」をも持ち合わせているように感じます。

ケアホルムの家具には、不必要なのでは?見えないところだし?強度に関係ないよね?という細部にも、徹底したこだわりが見られます。スクリュー1つにまで妥協を許さなかったため、結果的に大量生産に向かない「家具」となりましたが、そこには「芸術品」としての価値が付随することになります。

 

ハンナは言います。

「主人は、オタクです」と。

 


 

Poul Kjærholm(ポール・ケアホルム)展

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家具であり、アートでもあるポール・ケアホルムの作品。

店頭で実物をご覧頂き、ご購入頂けます。

 

展示販売会は25日(日)まで。
ぜひ歴史に名を残す名作に出逢いにいらしてくださいね。

 

PKシリーズについて詳しくはコチラ → click